非常識会社員論

最近自分が考えていることは、会社とはなぜ存在するかというものである。どうせなら、今いる会社のことは忘れて、理想の会社を作るために、どこにいても理想の会社員として行動してみたいという意欲が湧いてきているからである。

自分のいる会社に文句を言うことはたやすい。では、自分ならどういう会社を作るかと問われて明快な答えが出せるだろうか。変なことは長続きしない。今いる会社が本当によい会社でない時に、その悪いところが正されなかったら、その会社は駄目になるか、あなたはその会社を去ればよい。

問題はその時である。あなた自身に、よい会社のイメージがなければ、あなたは会社変革にも貢献できないし、間違った職場を選び続けるかもしれない。本コラムでは、今いる会社はさておき、理想の会社を考えていきたい。そういう思想を持ち、そういう行動を司るリーダーに人心は自然になびくと思うからである。これも組織運営の裏技の一つである。

管理職は、英語ではマネジャーである。管理=マネジメントをするのが仕事である。なぜ、マネジメントが必要か。それは、社員が、会社では気の進まないことをさせられることになるという前提からスタートした発想ではなかろうか。もし、仮に社員が、その会社の経営ビジョン、行動原則に納得して、自らのやりたいことを実現する会社であるという認識の下に仕事していた場合に、果たしてマネジメント、つまり管理は存在するのだろうか。違うと思う。

職場の上長をさす言葉にリーダーという言葉がある。トップのリーダーシップが…。というように、意外と無定義に使われる。しかし、このリーダーという言葉はとても大事な言葉だと思う。

そこでは、組織が自然体で希求するマネジ(管理)という概念をできる限り極小にするように努力しているように見える。当然、組織内には、スタープレーヤーもいれば、そうでない発展途上人もいる。しかし、マネジはラストリゾートにしたいという意識が見て取れる。むしろ、同じ志の仲間を良くなるようにリード(導く)したいというカルチャーが強い。カルチャーという曖昧模糊とした空気にすべての同志の行動原則が反映されている。世界的に見ると、こうしたマネジよりもリードという経営思想の組織が成長していることは否めない事実である。

あくまで、同じビジョンを持ち、クライアントへのコミットメントを第一に考え、次に、自分たちの会社の仲間を尊重し、マネジでなく、成長をリードしていく。そんな会社は一つの理想形と見える。今後を考えた時に、そうしたマネジを意図的に忘れてリードに徹した多くの会社が出現するのではなかろうか。少なくとも、少子化で数が足りなくなった才能ある若手の分捕り合戦で勝利するためには、そうでなければいけないのではなかろうか。

コーポレートガバナンスコンプライアンスの強化の指針の元に、マネジが強くなっている現今の会社とはまったく逆に、よい方向にリードすることで他社に差異化できる組織が作れるかもしれない。そんな非常識会社員論を考え始めてもよいのではなかろうか。