ディベート

ディベートは日本人には向かないと言う意見もある。
その根拠は、
「日本人は、極めて情緒的で議論を好まない。」
「沈黙は金、雄弁は銀」
とか言うことで、日本人を逆に美化しようとしているに過ぎない。

日本人は、論理よりも情緒を重んじたいとの気持ちがあることは、理解できないわけではない。しかし、これは日本のように均一化された文化の中でしか成り立たないことだ。

「阿吽の呼吸」とか「腹芸」とかがあるが、これは「話さないでも判る世界」でしか通用しない。だから国際舞台ではいつも負けてきて、お金だけはふんだんに拠出するという国連やOECDなどでの結果となっているのだ。もっと議論のやり方を若いときから訓練すべきだ。

ディベートはアクティブラーニング(能動的学習)の最も優れた方法の一つと確信している。我が国の学校での授業は、何処まで行っても座学主体、講義主体のパッシブラーニングだ。大学、或いは大学院に入って初めてゼミとかでアクティブラーニングを始めても手遅れに違いない。